閉じた瞼
昔、好きなことや好きなものを人に言わない子供だった。
小学生の頃。
母が叔母に私がプレイしていたゲームのことを話し、従姉妹がそのゲームを始め、後から始めた従姉妹軽々と抜かされたのが堪らなく嫌だった。
それから、人に言って自分より好きになられたり上に行かれるのが嫌だから言わなくなった。
それからまた何年か経って、従姉妹に好きなものをバカにされた。
自分が好きじゃなかったら、バカにされずにすんだかも。
そう思ってから、ますます人に好きなものを言えなくなった。
ずっとそうだった。
家でも外でも、本当に好きなものは隠した。
そして大学。
こんな私にもなんとか友人ができた。
最初は好きなものの話題になった。
好きだけど当たり障りのないものを答えた。
そうしたら、友人の中の一人と思いがけず話しが弾み、初めて好きなものの話題を共有できることの楽しさを知った。
それから、少しずつ自分の好きなものを自分の中だけで楽しむだけでなく外に出すようになった。
だけどある時、友人にCDを貸したら無言で返された。
ふーん、と言った感じの態度。
もやっとしたが、その友人が好きだったので、まあそんなものかなと、自分の中の違和感に気付かないフリをした。
そんなことが何回かあった。
好きなものの話しをして、ふーんと言われたこともある。
最近、その友人と激しく揉めた。
そこで気持ちが離れて、やっと気付いた。
私は、ふーん、という態度を取られると激しく傷付くのだ。
私はこんなところが好きなんだよ
こういうエピソードがあってね
そういう話しがしたくて貸したのに、そういう態度を取られると何も言えない。
嫌い、だとか、好きじゃないと言われるならまだいい。
まだ会話のきっかけになる。
それか、はっきりと興味ないと言ってくれた方がいい。
でも、ふーん と言われてしまったら。
私は、なんだか、あなたにも興味がないと言われているような気持ちになってしまう。
本当に好きなものを勧めるのは、ある程度心を許した人なので(私の場合、そのボーダーラインがかなり高い)、そういう人にそういう態度を取られるのはかなりキツイ。
つい最近、母に 友人にふーんという態度を取られたのが嫌だったという話しをした。
その後、母は私が勧めたものに対して友人が同じ態度を取った。
嫌だったと言ったにも関わらず。
まあ、相手が自分の全てに興味を持ってくれるわけないし、どういう反応するかなんて相手の自由だ。
必ず望む反応をしてくれるわけじゃない。
でも、好きなものは共有したいし語り合いたい。
もちろん、それを好きな人が集まる場所なら話せるだろう。
だけど、そうじゃなくて、
自分の好きな人と、自分の好きなものを分かち合いたかった。
私のわがままだ。
だから、もう人に勧めるのはやめる。
自分だけの閉じられた世界で楽しむのもアリだと思う。
でもそれは寂しいから、それなら、何も好きじゃなくなればいい。
考えが飛びすぎてる感じも若干あるが、根本を突き詰めればそこに辿り着く。
また一つ、世界が色を失くした。